50代、これからは "ねばならない" を手放して

心と体をゆるめて、静かに整える
元公務員あじっちが、気持ちを軽くするヒントを綴ります。

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【心の断捨離】「急がなきゃ」を手放して、立ち止まることを選べるようになった話

心のこと
心のこと

🌿50代で生き方を選び直した元公務員のあじっちです。
かつては「ちゃんとしなきゃ」「人との比較をこっそり」と思い詰めていましたが、今はもっと自然体で生きたいと思えるようになりました。
そんな私の再出発の記録が、どなたかの励みになれば嬉しいです。✅ 

何かを始めると、成果がほしくて、ちゃんと形にしたくて――
「もっと頑張らなきゃ」「もっと早くやらなきゃ」って、気づけば自分を急かしていました。

でも、うまくいかない日もある。
頑張りたいのに進まないときもある。

そんなとき、「今日は立ち止まる日」と思えるようになったら、
少しだけ、呼吸が深くなった気がしました。

急がなくてもいい。ゆっくり歩いても、ちゃんと進んでる。

10個目に手放したのは、「急がなきゃ」という気持ち。
今は、肩の力を抜いて「今の自分」に寄り添う練習中です。


私は、ここに“何もしなくてもいていい”

「私は、ここに何もしなくてもいていいんだ」
そんなふうに思えるようになったのは、最近のことです。

自分という存在が、誰のためでもなく**“自分のために存在する”**ということ。
それこそが貴重で、尊いことなのだと気づけるまでに、私は長い時間をかけてきました。

これは、ずっと私の課題でした。
「何のために」「誰のために」自分は生きているのか――
子どものころから、ずっと問い続けてきた気がします。


中学生の私が、走り続けていた理由

私は、運動が好きな子どもでした。
中学生の頃には、部活で県を代表して大会に出場する機会にも恵まれました。

当時の顧問の先生は、練習以外にも「自主トレ」を課題にしていて、
たとえば「縄跳び500回」と言われたら、私は安心したくて1000回跳んでいました。

「これくらいやったから大丈夫」
そう思うために、毎日走って、跳んで、準備をしていました。

でも、結果は惨敗。
なぜ自分は負けたのか。悔しさとともに、無力さを感じました。


あの頃の私に、「ゆっくりしよう」と声をかけたい

最近ブログを書き始めて、あの頃のことをふと思い出しました。
当時は、将来のことに漠然とした不安を抱え、思春期のような反抗心もかなりもっていました。

そんな中で「部活はやる」「やりきる」と懸命だった自分。

今の私が思うのは、
「あの頃の私に、ただ『ゆっくりしよう』と声をかけたい」――
そんな気持ちです。

あれからもう、40年近くが経ちました。
こんなふうに自分を振り返る時間がやってくるなんて、思ってもみませんでした。


急がず、ただ歩く。私のストーリーは続いていく

当時、顧問の言うとおりに500回だけ跳んでいたら、もっと体の負担は少なく、
疲れも抑えられて、違う結果になっていたかもしれません。

でも、今思えば、結果ではなく「やりきった練習」にこそ価値があった。
その瞬間の成果ではなく、それは「自分のストーリーの一部」だったのだと思います。

これまでの人生が7章だったとしたら、生涯は14章近くあるかもしれない。

これからも、ずっと
まだまだ続く物語の途中なんだと感じています。


凝縮した頑張りより、緩やかな継続を

目に見える「結果」や「成果」ではなく、
心で感じたことをそっとピン留めしながら、これからも歩いていきたい。

凝縮した頑張りよりも、緩やかに、でも確かに続いていく毎日を。

そんなふうに、「急がない生き方」を、今の私は少しずつ練習しています。


🌿 まとめ

「急がなきゃ」と自分を追い立てていた過去の私。
立ち止まることすら許せなかった日々。

でも今は、立ち止まって深呼吸し、「ここにいてもいいんだ」と思えるようになった。

まだ練習中ですよ笑

そんな心の変化が、私にとっての10個目の「手放すこと」でした。

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