50代、これからは "ねばならない" を手放して

心と体をゆるめて、静かに整える
元公務員あじっちが、気持ちを軽くするヒントを綴ります。

はじめての方へ

【心と脳をととのえる暮らし(私の場合)】普通になりたかった私へ──気づいた特性と、これからの生き方

心と脳をととのえる暮らし(私の場合)
心と脳をととのえる暮らし(私の場合)

🌿50代で生き方を選び直した元公務員のあじっちです。
かつては「ちゃんとしなきゃ」「人との比較をこっそり」と思い詰めていましたが、今はもっと自然体で生きたいと思えるようになりました。

そんな私の再出発の記録が、どなたかの励みになれば嬉しいです。

私はずっと「普通になりたい」と思って生きてきました。

田舎で生まれ育ち、公務員として働き、結婚して子どもを育てる。 そんな“当たり前”の人生の中で、「普通のお母さん」「普通の妻」「普通の職員」であることが、目指すべき形だと思っていました。

でも今思えば──“普通”って、なんだったのでしょう。

フルパワーで頑張っていた日々

公務員の仕事は自分で選んだもので、やりがいもありました。育児休暇から職場に戻ると、家庭・子育て・仕事のすべてに気を配る“フルパワーワーキングマザー”としての日々が始まりました。

保育園の開園と同時に子どもを預け、夕方ギリギリに迎えに行く。 ママ友との関係にはうまく馴染めず、自分を責めたり、比べて落ち込んだり。

小学校でも役員に選ばれ、表向きは元気で仕切り役。 でも内心は、疲れや不安、気疲れでいっぱいでした。

私の頭の中は、いつもフル回転。仕事でも家庭でも「ちゃんとしなきゃ」が止まらない。

思い返せば「脳が疲れていた」

当時の私は、脳の疲れに気づいていませんでした。

  • 過度な気遣い
  • 他人の感情への敏感な反応
  • 0か100で揺れる気持ち
  • 小さなことでも「私のせいかも」と思ってしまう

夜は缶チューハイを飲んでリラックスしようとして、かえって睡眠の質を下げていたことも、今ならわかります。

「人の役に立ちたい」と思う気持ちは本当だったけれど、どこか“過剰”で、無理をしていました。

気づき──私には特性があった

ブログに自分の心を綴るようになって、ようやく気づいたのです。

  • 決まったルーチンに安心する
  • 極端に心配したり、逆にすごく嬉しくなったり
  • 片づけが苦手
  • 興味のあることにはとことん調べてしまう

これはきっと、ADHD(注意欠如・多動症)やASD(自閉スペクトラム)の特性なんだ、と。

診断を受けたわけではありません。でも、自分で「そうかもしれない」と気づけたことで、すごく救われました。

「普通になりたかった」自分を責めるのではなく、

「がんばってきたね」と、やさしく声をかけられるようになりました。

今、やっと手にした“ゆるい暮らし”

体調を崩して仕事を離れ、家を手放し、ミニマムな生活を始めた今──

私は、自分を取り戻す時間を持てるようになりました。

  • 無理をしない
  • 眠いときは、眠る
  • 夫や息子に感謝する
  • 今、生きていることを大切に思う

これまでのように、傷に塩を塗って、かさぶたを剥がして、また塩を塗るような生き方ではなく、

🌿 ゆるやかに、自分を大切にして生きていきたい。

そんな想いで、今日もこのブログを書いています。


🗨️ あじっちのつぶやき

「普通」になれなかったんじゃなくて、 最初から「私」になるしかなかったんだよね。

今の私が、いちばん“私らしい”。

同じように、自分に無理をしてきた誰かの心に、 この言葉がそっと届いたらうれしいです。

最後までよんでくださってありがとうございました。

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