🌿50代で「ねばならない思考」を手放した元公務員のあじっちです。
無理しすぎて心も体もすり減ってしまった経験から、今は少し立ち止まることを大切にしています。
同じように疲れてしまった方に、少しでも気づきや安心が届けばうれしいです。
🧠 今日のテーマ:「会えなくてもつながってる」って、こういうことかもしれない。
─ ふと声が聞きたくなった、あの人へ
無償のやさしさに、びっくりしてしまう私がいる
学生時代の友人でも、職場の人でも、ママ友でもなく──
大人になってから出会った、遠くに住む大切な人がいます。
年に数回のやりとり。でも、私はその人から届く言葉がとても心地よくて、
20年以上、大切に思い続けている存在です。
体調を崩したとき、仕事をやめるとき、家を手放して転居したとき…。
本当にしんどかった時期も、私は彼女には連絡できずにいました。
でも1年半ぶりに、たまたま用事があって私から連絡をしたとき──
電話口で彼女は、こう言ってくれました。
「何があっても、私は味方だからね」
その言葉に、私は泣いてしまいました。
家族のように、遠くからずっと見守ってくれていたこと。
彼女の無償のやさしさが、どれほど心に染みたことか。
それなのに私は…「なんで私なんかに」って、
一瞬、また脳のクセが出てしまって。
でもそのあと、ちゃんと嬉しさが込み上げてきたんです。
ぎこちない会話がこわくて、つい距離を取ろうとする
昨日、ふと──
「声が聞きたいな」と思いました。
でも状況は一月前と何も変わっていない。
話す内容もないし、盛り上がるとも限らないし…。
むしろ、重たい雰囲気になってしまったら、それで彼女の大事な時間がもったいない・・
そんなことを考えて、また自分でブレーキをかけてしまうんです。
「大事にしたい人だからこそ、うまく会話をしたい」
そう思うのに、私はいつも“うだうだ”してしまいます。
ほんと、どっちなの?って、自分でも突っ込みたくなるくらいです。
“気にしすぎる私”と、“ありがとうと言いたい私”
話したい理由は、「あの言葉」が聞きたいからだと気づきました。
「何があっても、味方だからね」
もう何度ももらっている言葉なのに、
またそれを聞きたいと思っている自分に、ちょっとあきれてしまいます。
50代にもなって、こんなに幼い自分…。
それでも、心のどこかで「ありがとう」って言いたくて。
ほんとは、ただそれだけなんです。
まとめ:言葉にできなくても、想ってる
会えなくても、話せなくても、
想っていれば、それでいい。
日々いろんなことがあって、電話の5分を合わせることすら難しい。
でも、心と体が元気なら、
きっとまた、タイミングが合うときが来る。
そう思えた朝。
そう思わせてくれた、友人の存在に感謝しています。
🗨️ あじっちのつぶやき
「どこかで見守ってくれている人がいるだけで、心はふっと軽くなる。
金銭的にも、精神的にも、ここまで来られたのは夫のおかげ。
そして、遠くにいても“まるごとの私”を受け入れてくれる友人がいる。
わたしは、たくさんの愛のなかで生きている。」
最後までよんでくださってありがとうございました。
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