🌿 無理しない暮らしを選びなおした50代、元公務員のあじっちです。 ブログでは、心と体を整える日々を綴っています。
今日は、はじめての「梅干し作り」からのお話です。
連日、肌を刺すような暑さが続いていますが、先日ついに、我が家の“自家製梅干し”が完成しました。 夫は毎日、その酸っぱさに顔をしかめながらも、美味しそうに食べています。
…実はまだ、母には「うまくできたよ!」と、直接は報告していないのですが。
今回の梅仕事は、単なる家事の記録ではありませんでした。 長年、私の中にあった母との関係を、静かに見つめなおす―― そんな、心に染みる時間となったのです。
この長い道のりの末にようやく、自分の中で納得できた母との関係。 そして、素直になれた私の気持ちについて、今日は綴ってみようと思います。
母と関わりたかった子ども時代
私の実家は田舎にあり、畑や田んぼ、山にはタケノコや果樹、お墓にお供えする花木なども育てていました。 母は自分の仕事が終わった後も、農作業や家族の食事、家事全般を朝から晩まで黙々とこなしていました。 一人で、本当にたくさん頑張っていたのだと思います。
そんな忙しい母とは、本当はもっと関わりたかったけれど、どこか苦手意識がありました。 私の記憶のなかでは、 「近づきたいけど近寄れない。だから諦める」 そんな感覚だったように思います。
話しかけたいけれど、 「忙しそうだし、ばあちゃんのところに行こう」 と、勝手に想像して気持ちをしまいこむことも多かったです。
子どもながらに、とにかく「母は本当に忙しい人」という印象でした。

兄との比較と、祖母への安心感
私には兄弟がいます。 すぐ上の兄は温厚な人で、生意気な妹の私にも限界がくるまで我慢して、最後に怒る…そんな人でした。 兄の友人も周りの大人も、みんな兄のことが好きなんだと感じていました。
忙しそうな母とも笑顔で話し込める兄の姿を見ながら、 「なんであんなに笑いあえるの?」 「私にはできない…やっぱり私はダメなんだな」 と、いつも比べては、自分の価値を低く感じていました。
母は、兄のことが可愛いんだ―― いつしか、そんな思いを自分の中に刷り込んでしまっていたのかもしれません。
一方で、私はどんどん「ばあちゃん子」になっていきました。 祖母の前では、悪態をつくことも、自由気ままに過ごすこともできました。
高校生のころ、ふざけて教室のガラスを割ってしまったことがあります。 でも親には言えず、祖母だけに話して、弁償してもらいました。
大切なことを、母ではなく祖母にだけ話すようになっていたんです。
一緒に過ごせたのは「台所」だった
そんな母とも、唯一一緒に過ごせる時間がありました。 それが、食事の準備の時間です。
料理の進み具合を確認したり、素材の切り方を教わったり―― 目的がある時間なら、母と一緒にいられる。 談笑はあまりなかったけれど、私にとっては好きな時間だったのだと思います。
50代で腑に落ちた「親子の距離感」
兄弟でも、家族でも、気が合う・合わないはある。 それは親子であっても同じなのだと、今は思えるようになりました。
かつて職場の先輩が言っていたことを思い出します。 「三人息子がいるけど、次男のことがわからない。雪の日に半袖短パンで学校に行こうとしたり、突拍子もなくて、つい叱ってしまう。…気が合わないんだよね」
私にとって息子はひとりで、だからこそ「この子だけに向き合えばいい」と思えるけれど、 もし3人いたら、気の合う・合わないはあるかもしれない。そう思うようになりました。
かつての私は「愛されていなかったのかも」と思っていたけれど、 それはただ「気が合いづらかった」というだけのことだったのかもしれません。
私自身、活発な子どもでケガも多く、母からよく注意されていました。 それを“叱られた”=“好かれていない”と受け止めてしまったのかもしれません。
でも今は、親子でも相性があり、それは愛情の有無とはまったく別のもの。 人が複数いれば、自然と起きることなのだと、ようやく思えるようになってきました。
今、母に想うこと
私は今、夫と二人で暮らしています。 別々の人格だからこそ、空気を読みあい、気持ちを寄せあって生活しています。 我慢というより、「一緒に作りあげていく感覚」です。
母との関係も、これからがそうなのかもしれません。
母には母の得意・不得意があり、私には私の感じ方がある。 「母が苦手だった」と感じていたことは事実だけど、 それは「愛されていなかった」ということではない。
長くかかったけれど、ようやく、そう思えるようになりました。
このブログを書かなければ気づけなかったことです。
「捨てて軽く生きてみる」とは
私はこれまで、意識的に“捨てよう”と思って何かを手放してきたわけではありません。 でも、モノも、思い込みも、とらわれも―― 「捨ててみなければ軽くなれない」ことがたくさんあるのだと、最近は実感しています。
ブログを始めてから、自分の気持ちを言葉にし、何度も推敲する中で、 想いが整理されていく。 誰かからフィードバックをいただく中で、また気づきが生まれていく。
「捨てて軽く生きてみる」は、私の願望でもあり、今の実感でもあります。
最後に
80歳を超えた母は、今もひとりで暮らしています。 細かな生活の世話はできないけれど、生きるための「心の健康」を、どうか持ち続けていてほしい。
物理的な距離がある今、私にできるのは、 生きるために良い言葉をかけていくこと。 そして、母からも言葉をもらいたいと願うことです。
お金はあった方が良いな…と想います。
でも、生きていくために必要なモノや自分と家族の健康、
他にはあまりモノはいらない気がしています。
ただ、母がずっと昔に漬けた梅干しがまだ実家にあると聞いたので、 夫と一緒に、分けてもらいに行こうかなと思っています。
ただ、それだけでいいな、と今は思っています。
私は50才を過ぎて、時間がたくさんあったから、大事なことに目をむけることができました。
読んでくださっている方も、「目線を変えると違う景色があるかもしれない」と共感していただけると嬉しいです。
最後までよんでくださってありがとうございました。
💡 今日の気づき:50代で腑に落ちた「母との関係」
- 幼い頃の私にとって、母は近寄りがたい存在だった。一方で祖母は心安らぐ場所だった。
- 兄と母の談笑を見るたび、自分を比較し「私はダメだ」と心を痛めていた。
- 子育てを通して、親の苦労を実感し、母への感謝の気持ちが芽生えた。
- 親子でも「気が合う・合わない」は自然なこと。それは愛情の有無とは別だと理解できた。
- 50代からの人生は、相手に「我慢する」のではなく、お互いの個性を「作り上げていく」関係が心地よい。
- 梅干し作りをきっかけに、長年のわだかまりが解け、母への感謝と、心の健康を願う気持ちが深まった。
最後までよんでくださってありがとうございました。
\あわせて読みたい/
コメント