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元公務員あじっちが、気持ちを軽くするヒントを綴ります。

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【心の断捨離】“ペロ”が教えてくれた、命のそばにいるということき

心のこと
心のこと

こんにちは、あじっちです。
今日は、私の中でいまも優しく息づいている一匹の犬、「ペロ」との思い出を綴らせてください。

家族の顔色を見て育った子ども時代

わたしは末っ子で、家では家族や兄弟の顔色を見ながら過ごしていました。実家は、学校や駅から4kmほど離れた場所にありました。両親は共働きで、私は幼いころから託児所や保育園で過ごしていました。

体格が良かったせいか、しっかりしていると思われがちだった私です。

でも実際には頻繁におもらしをしてしまい、先生たちから「どうしてトイレでできないの?」と問いかけられてばかりでした。

自分でも排泄の感覚はあるのに、なぜかトイレではできなかった。理由はいまもわかりませんが、先生に迷惑をかけることが申し訳なくて、罪悪感だけは残っています。

小さな命との出会い

小学2年の冬休み最後の日曜日、書道塾の帰りに小さな子犬と出会いました。小雪の舞う寒い日、山の岩影で震えていたその子を、私は迷わず家に連れて帰りました。

当時、家は火事で被災し、新築したばかり。家の中はまだ落ち着いていない頃でした。両親からは「誰が散歩に行くの? 朝晩だよ」「うちでは飼えないよ」と言われましたが、私は「ご飯食べないから」とまで言って必死に訴え続けました。

その晩、祖母が牛乳と味噌汁ごはんを子犬に与えてくれ、兄弟も次第に子犬に引き寄せられていきました。仏壇に手を合わせ、「この子を飼わせてください」と祈ったこと、よく覚えています。

翌朝、家族が「飼っていい」と言ってくれました。

ペロという存在

子犬は「ペロ」と名付けられました。ドラえもんのしずかちゃんの犬の名前からもらったものです。ペロはとても小柄な雑種で、ポメラニアンくらいの大きさ。豆柴よりも小さい体でした。

ペロは家族みんなから愛されていました。朝は祖母が塩むすびを手で食べさせてくれ、夜は兄弟が箸で残り物を食べさせていました。

当時はリードをつけることもあまりなく、自由に散歩させ、呼べば一目散に帰ってくるような田舎ならではの暮らし方でした。

発情期と冒険と…

年に2回、春と秋にペロには発情期がやってきます。首輪からすり抜け、雌犬を追って姿を消すこともしばしばありました。数日帰ってこないこともあり、私は心配で毎日仏壇に祈っていました。

ある朝、犬の集団の中にペロを見つけたときのこと。呼んでも近づいてこず、私は犬のボスにお菓子を与えて手なずけ、なんとかペロを確保しました。でも、学校が目前に迫る通学路。兄と相談した末、体育館裏につないで学校に向かいました。

罪悪感とともに、お菓子を教頭先生に預けようとしたあの日。堅物だと思っていた教頭先生が「犬が見つかってよかったね」と言ってくれて、ほっとしたのを今でも覚えています。良い方でした。

私にとってのペロ

ペロは、私が小学生の頃に家族になった子犬です。
小さな体で家じゅうを走り回り、夏には海にも一緒に行きました。足が届かない場所でも怖がらずに泳ぐ姿は、まるで「犬かき」のお手本のようで、とてもかっこよかった。

落ち込んだ日や、涙が止まらない夜も、ペロがいてくれるだけで時間が静かに過ぎていきました。朝になると、「また違う朝が来た」と思わせてくれる、頼りになる弟のようでした。

兄弟の中には、火事を経験したことで「家族が無事でありますように」という願いを仏壇に手紙で残していて、そこには**「ペロ」**の名前も家族の一員として添えられていました。

ペロは私だけを特別に好いていたわけではありません。祖母や両親、兄弟それぞれがペロに愛情を注いでいて、ペロもそれに応えるように振る舞っていました。わたしはというと、「ペロに好かれたい」「ペロを独占したい」という気持ちが強かったように思います。

夜中にこっそりコタツに入れてあげたこともありました。でも、ペロは本当にそれを望んでいたのか…。コタツ布団が汚れて叱られたことも、今では懐かしい思い出です。

ペロの病気と別れ

中学3年の冬、ペロは咳をし始め、食欲がなくなりました。お腹が膨らんでいき、動物病院で「フィラリア」だと診断されました。

「手術をしないと命にかかわる」

お年玉で貯めていたお金、全部出してもいいから元気になってほしい。tそう思い、ペロは手術を受けました。胸の傷が痛々しかったけれど、咳は止まり、「治った」と思っていました。

しかし、高校入学の春、わたしが部活の合宿から戻ると、ペロの元気は戻っていませんでした。

そして入学式の翌朝、ペロは冷たくなっていました。

心の一部だったペロ

父が家の近くの果樹の下に眠らせてくれました。 土をかけながら、「まだ触れたい」「会いたい」と、私は何度も土を払いました。

この別れは、私の中で「意味」や「存在」を考えさせるものとなりました。

ペロがいなくなったことで、自分のこれまでの人生に何か意味があるのだろうかそれからの未来もまた、希望のある将来が待っているのだろうか——と、漠然と考え込むようになったのです。

新しい子犬と私

その後、父が新しい子犬を連れて帰ってくれました。私は部活にも行けず、勉強にも身が入らなくなっていたけれど、その子犬の存在に少しずつ救われていきました。

まとめ:生き物と暮らすこと、生きること

ペロとの8年間は、私にとって初めて「大切な存在を失う」体験でした。命を預かることの意味、心配が増えること、失う悲しみ。

でもそれは、誰かを大切に想うという、あたりまえの感情だったのだと今は思います。

はじめて「辛い」と、からだの力が抜ける感覚を体験しました。

そして、あの頃の「自分の意味がわからなくなるような感覚」も、わたしにとって特有の個性だったのかもしれません。

ペロと過ごした8年間は、私の中の大事な風景です。
あなたにも、忘れられない小さな存在はいますか?

最後までよんでくださってありがとうございました。

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