見栄と比較を手放して心がふっと軽くなった話 ~自分を守る「演じる私」からの卒業~
とっさに出ていた「防衛語録」
人と関わるとき、つい「私って本当に冴えないんですよ」と言ってしまう――。
それは、自分を守るための言葉だったのかもしれません。実際にそう思っていた部分もあるけれど、どこかで「でも、本当は違う」と思っている自分もいて…。
今思えば、あの頃の私は「見栄」と「比較」の中で、自分を見失っていたのだと思います。とっさにでていた「私って冴えない・・・」自分を守るための防衛語録でした。
🪻①:理想の自分に追いつこうとしていた
社会に出ると、「明るくて面白くて、元気で頼れる私」を目指すようになっていきます。
外に出ると別人のようにおしゃべりになって、頼まれると「いいですよ、やりますから」が口ぐせに。でもその理想は、自分の心地よさではなく「人からどう見えるか」だけで作られたものでした。

🪻 ②:自分を演じることに疲れていた
「ちゃんとしている私」を保つために、無理を重ねていました。
どこかの時間を削らなければならず、結果的に一番削りやすかったのは「眠る時間」でした。頼まれごとの連続は、いつの間にか心と体をじわじわと蝕んでいって…。
若い頃は、何とかエネルギーで乗り切れていました。
でも50代になって、仕事を辞めたときには、エネルギーはすっかり枯れてしまっていました。

🪻 ③:「比べない私」を少しずつ育てている
何にそんなに理想を求めていたのか――。
振り返ると、それは子どもの頃に思い描いた「完璧な大人像」だったのかもしれません。でも今、ようやく分かってきました。
本当に大切なのは「どう思われるか」ではなく、「どう生きたいか」。自分の声を聞いて、自分のペースで動いてみる。
そうやって、「比べない私」「演じない私」を少しずつ育てています。
自分らしく生きるヒント
見栄や比較の中で、自分を押し込めていた過去。
それに気づいて手放せたことで、心がふっと軽くなりました。50代という節目で、自分の内側に目を向ける時間ができたからこそ、
「ありのままの自分でいい」と思えるようになってきた気がします。もしあなたも、「誰かの目線」で自分を評価しているとしたら――
それはあなたが悪いわけではなく、きっと誰かに愛されたくて頑張ってきた証。まずはひとつ、小さな手放しから始めてみませんか?
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