「50代、暮らしの見直し。家を手放すという選択」
手放す決意まで
忙しさとストレスで体調も悪化し、いつしか内臓の不調や慢性的な疲れが続いていました。思考も鈍り、無理を重ねていたように思います。体の痛みと、そこから続く体調不良から、いくつかの誤った判断の結果、私は職場を離れざるを得なくなりました。そのことについて、正面から語るにはまだ少し時間がかかりそうですが、今は静かに受け止めて、心と体を立て直して行こうと思います。
その時はまだ家の負債が残っていました。
夫婦共働きを前提にローンを組んでいた私たちにとって、これは大きな悩みの種でした。
当時の私は、体も心も限界で、仕事を辞めることで少しでも楽になれたら……
そんな思いで頭がいっぱい。
人間関係が濃密な田舎の暮らしにも、疲れていました。
しかし、夫にとってその家はとても大切な場所でした。
ハウスメーカーとの打ち合わせ、建築の進捗確認、すべてに関わってきた夫。
大学で建築を学んだこともあり、思い入れもひとしお。
新居には、たくさんの「夫の想い」が詰まっていました。
売却という選択、そして移住
私たちが暮らしていた町は田舎で、医療体制も限られていまし大きな大きな手術が必要となれば、他市の病院へ紹介されるような環境。
そんな中、夫が「引っ越そう」「家を手放そう」と言ってくれたとき、私は正直ホッとしました。
ローンはまだありましたが、家は築20年を超えており、メンテナンスにもお金がかかっていました。
夫は、そんな現実と、私の体調を天秤にかけて「家を手放す」決断をしてくれたのです。
引っ越しの日々と、想い出の整理
不動産屋さんに連絡し、査定後、売却手続きは思いのほかスムーズに進みました。
私は引っ越し業者の手配、荷物の整理、段ボール詰めに追われる毎日。
特に夫の本の量は圧巻で、何度も古紙回収センターに足を運びました。
そして、自分自身のモノたち──
子どものころのアルバムや手紙、思い出の洋服。
これらに執着していた自分自身を考えながら、捨てる段ボールに迷い無く詰め込むことができました。。
それでも捨てられなかったものは、実家の納屋に。
息子の工作やカードゲーム、夫のキャンプ用品や模型…。
「捨てたくない。でも持って行けない」そんな葛藤とともに、私たちは20年暮らした家を後にしました。
改めて家族を身近に感じ、大切な家族のことを思いました。
まとめ:手放して、はじめて知ったこと
手放すことは、簡単ではありませんでした。
でも、あのときの選択があったからこそ、今の私たちがいます。
手放したことで、何かが終わったわけではなく、むしろ自分にとっての新しい暮らしの始まりでした。今は、物も気持ちも少しずつ軽くなっていく感覚を味わっています。
これからも、新しい場所で、小さくても心地よい暮らしを続けていけたらと思います。
👉 続きはこちら:
家を手放すという選択【後編】引っ越しの日のこと
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