はじめに
「ちゃんとしなきゃ」「女の子なんだから」。
そんな言葉に縛られながら育った私が、50代になってようやく手放せるようになった“呪縛”のお話です。
女の子はこうあるべき?昭和の価値観の中で育った私
私は男兄弟の中で育ちました。
昭和の後半、田舎での暮らしは「女の子なんだから」という言葉が日常にあふれていて、それが当たり前の空気でした。
でも私は、兄や男の子たちには負けたくないという思いが強く、活発に過ごす子どもでした。
その一方で、家でも学校でも「女の子らしさ」は求められていました。
整理整頓ができて、大人しくて、優しくて、男子の一歩後ろを歩くような存在が「良い女の子」。
でも私は、整理整頓がとても苦手。父からは「片付けができないと大人になったら困るよ」と、よく言われていました。でも子どものころからすでに困っていたんです。

母の背中と、“完璧”へのプレッシャー
母は施設の調理師として朝早くから夜遅くまで働き、掃除や食事の世話、田んぼや畑の作業までこなす人でした。
いつも手を抜かず、静かに、一歩引いた姿勢で家庭を支える母の姿は、私にとって“完璧”そのものに見えました。
そんな母がつくる料理はどれも美味しく、私は料理だけは楽しく手伝っていました。
好きなことって、自然と上達していくものですね。お菓子作りまで夢中になって取り組んでいた記憶があります。
でも、掃除はどうしても苦手。年末の大掃除の季節になると、心がずしんと重くなり、「まだやるの?」と思いながら、イヤイヤ手伝っていました。
結婚しても続いた「ちゃんとしなきゃ」
やがて結婚し、若い夫婦としての生活が始まりました。
気づけば、「家事は女性がするもの」「ちゃんとしなきゃ」が、当たり前のように自分の中に根づいていました。
料理も、家族が残せばものすごく落ち込んでしまう。
掃除も苦手だけれど、掃除機をかけ、洗濯機を回して、干して畳んで…頑張って“ちゃんと”こなそうとしていました。
お正月が近づくと、おせち作りのプレッシャー。作り終えた後の達成感はあるけれど、心も体もぐったり疲れてしまう日々でした。

年末に手作りしたおせち。
昔は「ちゃんとしなきゃ」と思っていたけれど、今は「私にとって心地いいか」で暮らしを整えています。

夫と私の役割分担に気づけた今
夫が掃除を始めると、私は「自分がダメなんじゃないか」と感じていました。
でも実際、夫は掃除がとても上手で、部屋もスッキリきれいになります。
私は料理が好き。夫は掃除が得意。
これでいいんじゃないか——。ようやく、そう思えるようになりました。
今の住まいは、狭いアパート。だからこそ、モノを増やさず、「いつでも引っ越せる」くらいの気持ちで暮らしています。
夫に「気になるところある?」と声をかけると、「脱衣所とお風呂にね・・・」と具体的にアドバイスをくれます。
毎日、自分なりに掃除をしていますが、目が届かない部分は教えてもらえると助かる。
50代にもなって、恥ずかしい気持ちもあるけれど、夫婦の関係性があるからこそ、素直に受け入れられるようになったのだと思います。

「ちゃんとしてない」けど、今の私にはちょうどいい
最近は、食べることが大好きな夫のために料理を作ったり、惣菜屋さんで美味しそうな鯖の味噌煮を買ってきたり。
手作りじゃなくても、「美味しいね」といっています。それでいいのです。いや、内心手作りじゃない方が美味しいのかも、プロだし なんて思ってもいます😉

“ちゃんとしてない”かもしれないけれど、私にとっては“ちゃんとした暮らし”。
無理をしない。
背伸びをしない。
50代からの暮らしは、「ぼちぼち」で、ちょうどいい。笑
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