50代、これからは "ねばならない" を手放して

心と体をゆるめて、静かに整える
元公務員あじっちが、気持ちを軽くするヒントを綴ります。

はじめての方へ

【50代からの生き方】50代、夫婦の時間が教えてくれる心の温度

50代から
50代から

目線からの気づき

こんにちは、あじっちです。
50代、公務員を卒業し、今は夫と二人で小さな暮らしを楽しんでいます。
今日は、夫と出かけた動物園で感じた「目線」のお話を綴ります。

夫と出かけた動物園でのこと

先日、夫の休日に誘われて、動物園へ行きました。
実は私は、少し気が進まなかったのです。
というのも、最近は気温も湿度も上がっていてムシムシ。
「動物園なんて暑そう、臭そう…」と正直思っていました。

けれど、生き物が好きな夫が「行ってみよう!」と乗り気だったので、笑顔で出発。

着いてみると、想像していたよりずっと爽やかな空間が広がっていました。
大きな池があり、バラや木々が丁寧に手入れされていて、家族連れの笑い声も微笑ましい。
不安は自然と消えて、私の足取りも軽くなっていました。

動物たちを通して見えた「自分の感情」

園内では、動物たちの様子を見ながら、私は勝手にいろんな想像をしていました。

追いかけっこしている姿を見て、「これは組織の中での優劣関係みたいだな」なんて思ったり、
地面にごろんと寝そべる動物を見て、「暑いから、もうやってられないって感じかな」と自分の感情を投影してみたり。

気の毒になったり、笑ってしまったり。
まるで自分の内面を、動物に映して見ているようでした。

夫の目線は、癒やしの向こう側

一方で夫はというと、スマホではなくカメラを構えて夢中でシャッターを切っていました。
「そんなに撮って、どうするんだろう?」と一瞬思いましたが、
動物たちを見つめる彼の目は、まるで子どもが夢中になるときのようで、
「癒やされているんだな」と、すぐに気づきました。

生き物とともに歩んできた夫

夫と出会った頃、彼はハムスターや熱帯魚を飼っていました。
餌や水やり、掃除、水替え…
「よくあんなにマメに世話ができるな」と、面倒くさがりの私は驚いたものでした。

結婚してからも、生き物は少しずつ増えていきました。
文鳥、インコ、亀、メダカ…。
引越しを重ねる中、今も白い文鳥が我が家にいます。
入居時にはきちんと許可も得ました。

そしてもう一つ。
夫が大切にしているものの中に、小さなぬいぐるみがあります。
ディズニーのツムツムシリーズ。
中でも、縫い目が少しズレている「クリスマスバージョンのミッキー」は、
彼にとって特別な存在のようで、「クリミッキー」と名前までつけて大切にしています。

私と夫、それぞれの目線

私はというと、動物園の外の風景や、家族連れの若いご夫婦、子どもたちの様子ばかりに目がいっていました。
一方で夫は、動物そのものをじっと見つめ、カメラを通して「中」を感じていました。

私と夫、それぞれの目線の違いに、ふと気づいたのです。

「どちらが良い」とか「正しい」ではなくて、
ただ、違う視点で世界を見ている。
それが面白くて、尊くて、ちょっと切ない、ですね。

感謝と、これからも一緒に

想像していなかった形で、働く日々が終わりました。
そんな私のために、夫は、時間をかけて大切にしてきた家を手放す決断をしてくれました。
その覚悟に、ただただ感謝しかありません。

でも、「なぜそこまで?」と考えると、
「優しい人だから」と一言で終わらせてしまうには、あまりに深いのです。

彼の目線の先に、私は何を見てきたのか。
これから何を一緒に見つめていくのか。

50を過ぎて、「のろけ」でも「感謝の押し売り」でもなくて、
私はただ、夫と同じ景色を見ていたいと思ったのです。

見ることができるのか、

やはり見ていたいです。

 

まとめ:目線の違いは、心の重なり

同じ場所にいても、見ているものは人それぞれ。
でも、違う目線があるからこそ、気づけることがあります。

夫婦でも、親子でも、他人でも。
目線が違うからといって、距離があるとは限らない。
むしろ、目線の「違い」に気づけた時、心は重なっていくのかもしれません。

こんなふうに感じた日でした

身近な人が、どんな目線で世界を見ているか、
ちょっとだけ想像してみると、
その視点に寄り添ってみると、思いがけず、優しさに包まれるかもしれません。

読んでくださってありがとうございました。

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