― 愛着のある我が家との別れと、心の再出発 ―
引っ越しが決まったときの気持ち
我が家には、家屋だけでなく、新築時に選んだポストや玄関まわり、ウッドデッキ、植栽のシンボルツリーなどがありました。20年という年月をかけて、それらも味わい深く育っていきました。
木々は大きく枝を広げ、ウッドデッキはいつしか物置のようになりながらも、家族の生活を見守ってくれていた存在でした。
「この家と、本当に別れるんだな……」
そんな実感がじわじわと胸に広がっていきました。

小さな命たちとの別れ
私たちは、ハムスターや文鳥も飼っていました。代々亡くなった小さな命たちは、紅葉の木の下に埋めてあって、そこは小さなお墓のような場所でした。そこにも、静かなお別れを言わなければなりませんでした。
離れる日の夫の姿
引っ越しの日、荷物を運び終えたあと、夫はすべての部屋の明かりをつけ、家全体の写真をスマホで撮っていました。
その背中が、とてもとても辛そうで、私は胸が張り裂けそうでした。
夫にとって、この家はただの「住まい」ではなく、夢や愛着の詰まった、かけがえのない存在だったのです。

家族の一部だった我が家
今でも思います。
我が家は、建物だけでなく、あの赤いポストも、表札も、大きく育った木々も、そこにあった空気ごと「家族」だったのだと。
「その全部を手放してまで、本当に必要な決断だったのか……」
そんな思いが去来することもあります。けれど、それでも今の暮らしは、心と体を取り戻すために必要だったと、やはり思うのです。
新しい生活への戸惑い
引っ越し先の小さなアパートに荷物を運び終えたとき、私はふと不安になりました。
「ここで本当に、平穏に暮らせるのだろうか……?」
夫は何度か、夜中に泣いていました。その姿を見るたび、申し訳なさでいっぱいになりました。
そして、県外で学生生活を送っている息子にも、あの家を手放してしまったことが、申し訳なくてなりませんでした。あの家には、息子の原体験がたくさん詰まっていたから。

今、改めて思うこと
大切なものを手放すのは、簡単なことではありません。
でも、あの選択があったからこそ、今こうして少しずつ自分を取り戻せているのかもしれない──
そう思いながら、今日も静かなこのアパートで、夫とふたり、暮らしています。
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