50代、これからは "ねばならない" を手放して

心と体をゆるめて、静かに整える
元公務員あじっちが、気持ちを軽くするヒントを綴ります。

はじめての方へ

結婚祝いにまんじゅうを届けに80kmバイクで走った話|若い頃のちょっと変な祝福旅

心のこと
心のこと

🌿50代で「ねばならない思考」を手放した元公務員のあじっちです。
無理しすぎて心も体もすり減ってしまった経験から、今は少し立ち止まることを大切にしています。
同じように「がんばりすぎてしまう」方に、ほんの少しでも気づきや安心が届けばうれしいです。

ふと思い出した、若い頃の“ちょっと変な”思い出

息子がバイクで帰省すると知って、息子のバイクへの想いを考えていると、ふと昔の自分を思い出したのです。

今思えば笑ってしまうような、でも当時の私は本気だった…
そんな若い頃のバイクと友情の、ちょっと“謎すぎる思い出話”です。

これは悩みを解決する記事ではありません。
でももし、若い頃の自分の“ちょっと変なまっすぐさ”を思い出すきっかけになったら、うれしいです。


バイクは私の“断捨離時間”でした

私がバイクに乗っていた期間は、20歳を過ぎてから15年くらい。
ベテランというほどではないけれど、途中出産などで乗らなかった4年間も含め、
バイクは私にとって、体の一部のような存在でした。

咄嗟の判断が求められることも多く、
急ブレーキを握れば即転倒するという感覚が、いつもどこかにありました。


息子が幼い頃、5歳の彼にヘルメットをかぶせ、
私のお腹にベルトを回してヒヤヒヤしながらタンデムしたことも何度かあります。

バイクでしか味わえない空気や距離感、孤独。
でもその孤独が、日常から少しだけ自分を切り離してくれる。
そんな“断捨離の時間”として、私にとってバイクは大切なものでした。


まんじゅうをリュックに詰めて、80kmのツーリングへ

独身の頃のある日。
友達の結婚式を翌日に控え、「まだ結婚祝いを渡してなかった」とふと思いました。

でもプレゼントを買うのではなく、
私の好きな“おまんじゅう”を、好きなバイクに乗って、
大事な友達のご家族に直接届けたい、そう思ったのです。

「結婚祝いにおまんじゅう」──今思えば謎ですが、
そのときの私にとっては、心をこめた“いちばんの贈り物”でした。しかも大量でした。


晴れた初夏の日。
リュックに、黒糖生地やカステラ生地の粒あんなど、さまざまなおまんじゅうをたっぷり詰めて。
青い空も、きっと海も、私のツーリングを応援してくれているような気がしていました。

公園で出会ったのは、のちの“あの人たち”

片道80km、友人の実家を目指して出発。
途中、小高い公園でバイクを止めて、友達に「おめでとう」の手紙を書いていました。


しばらくして、年配の男女に声をかけられました。
「なにをしているんですか?」と。

八方美人な私は、「明日、友達が結婚するので、そのお祝いにおまんじゅうを届けるんです」と、
きっとリュックに詰めたおまんじゅうの話までペラペラ話したと思います。


……あとから知ったのですが、
そのお二人は、のちに私が勤めることになる公共施設の上司でした。

当時、地域の人から「不審なバイクが来ている」と連絡があったそうで、
見に来られていたとのこと。年月日も場所も、すべて一致していたんです。

こんな偶然ってあるんだなあと思いました。よほど不審だったんでしょうね笑


転んでも届けたかった、あの人への気持ち

準備ができて、いよいよ友人の家を目指します。

ところが──
想像以上に道は険しく、だんだん細くなり、まるで「ぽつんと一軒家」で見るような悪路に。

6月の昼間とは思えないほど、木々に囲まれていて薄暗く、
道路には枝や落ち葉が散乱していて、急カーブもありました。

そして私は、案の定バイクを滑らせて転倒。


それでも「早く届けたい」という気持ちが勝って、バイクを起こして進みました。

やがて人家が見え始め、農作業をしていた方に「○○さんの家を探してます」と尋ねると、
ヘルメットを外した私にちょっと驚きつつも、「気をつけてね」と優しく教えてくれました。

急な坂の上に友人の家はありました。
携帯電話もなかった時代、突然現れた私に、友人もそのご家族もただただ驚いていました。

結婚式の前日に届けた“ありがとう”

「明日、結婚式だね。おめでとう。」
そう言って、私はリュックいっぱいのおまんじゅうと手紙を渡しました。

喜んだかどうかはわかりませんが笑っていました。


翌日の結婚式にもお邪魔して、彼女のきれいな花嫁姿を見ながら、
私はふと、高校時代のことを思い出しました。

彼女がいてくれたから、私は高校を卒業できたのかもしれません。

あの頃、学校へ行けない日がありました。
心がどうにも重くて、教室へ足を運ぶ気力がわかない。
そんなとき、私は二週間に一度くらいの頻度で、彼女の下宿先に身を寄せていたんです。

明るくふるまうことができない日。
周りに合わせることすらつらい日。
そういう時間を抱えていること、あの時代はなかなか理解されませんでした。

彼女はその部屋を、何も聞かずに、ただ貸してくれました。
私がそこにいても、なにも詮索しない。
「どうしたの?」とも、「大丈夫?」とも聞かず、
ただ、自分の学校の支度をして、静かに出ていく──
その距離感が、私にはとてもありがたかったのです。

私は、ただそこにいさせてもらうことで救われていました。
あれは間違いなく、あの頃の私にとっての“避難所”だったのだと思います。

ずいぶん迷惑をかけたけれど、
それでも変わらず見守ってくれた彼女には、感謝しかありませんでした。

そして、あのやさしい彼女と人生を歩む旦那さんは、幸せな人だなとも思いました。


バイクで祝いたかった私の気持ち

息子のバイク帰省がきっかけで思い出した、
まるで小さな冒険のような、あの祝福の旅。

「結婚祝いにまんじゅうを持ってバイクで山越え」──
今思えば少し変でも、それが当時の私なりの“お祝いの形”でした。

誰かを想って何かを届けたいって、
理屈じゃなく、ただ「そうしたい」という気持ちから生まれるものなのかもしれません。


あじっちから読んでくださったあなたへ

もし、あなたにも「若いころのちょっと不思議な思い出」があるなら──
それは、今のあなたをつくっている、かけがえのない記憶なのかもしれません。

  • 昔の自分のちょっと不器用なお祝いの気持ち
  • バイクや旅にまつわる忘れられないエピソード
  • 誰かへの“ありがとう”を伝えた記憶

そんなものが、ふと心によみがえるきっかけになったらうれしいです。


よかったら、あなたの「大切な友達との記憶」も、思い出してみてくださいね。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

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