50代、これからは "ねばならない" を手放して

心と体をゆるめて、静かに整える
元公務員あじっちが、気持ちを軽くするヒントを綴ります。

はじめての方へ

【50代FP2級試験を受けてみる】FP日記#9:知識は心を軽くする。「心の断捨離」とつながった50代の気づき

50代から
50代からFP2級の資格に挑戦してみる心のこと

🌿50代で「ねばならない思考」を手放した元公務員のあじっちです。
無理しすぎて心も体もすり減ってしまった経験から、今は少し立ち止まることを大切にしています。
同じように「がんばりすぎてしまう」方に、ほんの少しでも気づきや安心が届けばうれしいです。

毎月2万円、無駄にしていました。
勧められるままに入った保険。見直すきっかけもなく、気づけば10年…。
「こんなに払ってたの?」と気づいたのは、FPの勉強を始めてからでした。

FP学習と睡魔。輪ゴムみたいな“やる気”と向き合う日々

FP2級の学習は最近、睡魔との戦いです。
やろうと心では思っているのに、つい怠け心が出てしまう。そんな自分に、正当な理由をつけようとしてしまいます。そして、その言い訳の相手は、他でもない“私自身”なんです。

現在は外での就労をしておらず、夫と二人暮らしです。最低限の家事を済ませれば、FPの学習に多くの時間を使えます。

しかし、いざ机に向かうと、途端に眠くなるのです。

私のやる気は、まるで輪ゴムのようです。輪っかの内径を「やる気の基準」としたとき、今の生活はその内側でぬくぬくと縮こまっている感じですかね。誰かに気を遣う必要もなく、むしろ輪っかに気づかれないように、静かに身を潜めているような自分がいます。

──それでも、私は今日も輪ゴムを少しずつ外へと伸ばしてみようと思っています。


FP学習で知った「お金の安心」と心の断捨離

「お金の不安」は心の重さになる

今はリスク管理の分野を学んでいます。生命保険や損害保険など、任意で加入する保険についての内容です。

3級の学習のときも痛感しましたが、ライフプランニングで社会保険を深く学ぶと、「これこそ、学校で公教育として教えるべき内容ではないか」と心底思いました。

昭和からの教育課程を経て、「20歳になったら年金を払う」という漠然としたイメージと、「本当に自分が受給する時代まで年金はあるの?」という不安の言葉が交差していたように思います。

でも、FPの学習を通して、社会保険や年金について実に細かく丁寧に説明されていて――

年金が自分の老後のことだけの制度ではないこと」、「社会保険や年金を納める意味と福祉制度のこと」等、

「制度名は知っているけど、具体的に知らなかった。知っていたら、必要のない保険に入らなかったのに」と後悔の連続です。


深く知らなかった制度=知らなかった安心

たとえば公的医療保険ですが、
会社員や公務員は、病院を受診すると3割が自己負担で、7割は事業所が負担する義務があります。
毎月給与から天引きされる健康保険料も、実は半分は事業所が負担しているのです。

採用時の研修で伝えてもらっていたのでしょうが、もっと深く認識していれば、職場や組織に感謝しながら過ごしていたかもしれません。組織に守られている安心感にも。

もし私の給与明細に「健康保険料:2万円」と記載があったら、実際の保険料は4万円。「厚生年金料4万円」の記載には、実際の保険料金は8万円です。ただ金額をみて、たくさん社会保険料は引かれているなと感じていましたが、知らないうちに、社会が私を助けてくれていたんだなと、改めて気づきます。

そのように考えると、所属からの健康保険料の2万円+厚生年金の4万円の事業所負担も補助というか助成という捉え方をすると、義務とはいえ社会のありがたい制度ですね。

また、「高額療養費制度」により、医療費が一定額を超えた場合には、その超過分が後から戻ってきます(所得や年齢によって異なります)。私はかつて、よくわからないまま知り合いの保険屋さんに勧められて、医療保険、終身保険、特約などがひとまとめになったパッケージ型の保険に、毎月2万円近く支払っていました。保険屋さんにすすめられるまま、「必要そうだから」と思って続けていたものの、いま思えば内容をきちんと把握していなかったんです。

セット契約の中身が複雑で、内容がわかりづらいことって意外と多いんですよね。

その保険屋さんが何度も職場に来られて、話を聞く時間ももったいなく、また相手をすることも気を遣ってめんどうでした。同時に保険屋さんは仕事なのに、どこかで「このひとによく思われたい」という気持ちが働いていました。だからその時間や煩わしさを断ち切るために、保険に入ったのかもしれません。その保険勧誘をされていた方はお仕事だから仕方なくて、私が優柔不断だからいけないのです(>_<)

【私の失敗】勧められるまま、月2万円以上の保険に加入していた私

お金もないのに、お金を犠牲にして

知識がなかったからこそ、不安にお金を払い続けていた。

不必要な人間関係を断ち切れなかった、多くの失敗の一つです

「高額療養費制度」を具体的に自分の常備する知識と位置づけていたら、掛け捨ての医療保険料を払うのではなく、生活資金防衛費としての一時的に支払えるお金を持っておきながら、お金を他の大事な支出に充てられたかもしれない――
そう思うと、自分が知らない悔しさと同時に、「知識って心を軽くするものなんだ」と実感しました。

【結論】無駄な保険料を見直すだけで、心も家計も軽くなる


「孤独感」と「社会の安心」は両立する

障害者基礎年金のように、障害認定を受けた方が20歳以降に受給できる制度があります。
また、20歳前に障害となった方にも、一定条件で給付されるケースもあります。

さらに、主たる生計者が亡くなった際には「遺族基礎年金」、妻に対しての「中高年寡婦加算」など――
年金は老後だけの制度ではなく、人生のあらゆる不測の事態に寄り添ってくれる存在なのです。

私は、年金の意味を学びながら思いました。

**「これは“社会全体で支え合う、優しいセーフティネット”だ」**と。

「私たちは一人じゃない」

漠然とした未来への不安が、少しずつほどけていきました。お金の不安は、私たちを孤独に追い込むことがあります。
しかし、誰かと直接つながっていなくても、社会が私たちを包み込んでくれている。

これは、「心の断捨離」で余計な人間関係を手放した後に感じる安心感にも似ていました。

【FPで得た気づき】「保障額」や「公的制度」を人ごとのように、自分事として深く認識していなかったことが損の始まり


FP学習で気づいた、「心の断捨離」との共通点

この学びを続ける中で、改めては気づくことがあります。
お金に関する知識と、心の整理術には驚くほどの共通点があることに。

✅ 不要なものを手放す

  • 保険に入りすぎていた私 → 不必要な人間関係を続けていた私

✅ 本当に必要なものを見極める力

  • 必要な保障とは何か?
  • 自分にとって心地よい人間関係とは何か?

✅ 安心感を得て、心を軽く生きる

  • 知識で不安を和らげる → 心の断捨離で自分の内側を軽くする

この2つは、「ゆるくて、自分らしい暮らし」を作っていく上で、
大切な車の両輪なのかもしれません。


まとめ:知識は心を軽くする、新しい「ゆるい暮らし」へ

FP学習と向き合う中で、眠気や怠け心と戦う日もあります。
でもそのたびに、「これは未来の自分を守る力だ」と思い直しています。

かつて不要な保険料を払い続けていた私は、知識を得たことでそこから抜け出せました。
知らないことが不安の正体だったのだと、気づけたからです。

それはまるで、**絡み合った人間関係を手放す“心の断捨離”**にも似ています。

もし今、不安や孤独を感じている人がいたら、
もしかしたらその一部は「知らなかったこと」が原因かもしれません。
知ることで、人は心を軽くできます。

あなたも今お持ちの保険証券、1枚だけでも手に取って見てみませんか?
「私は何に入っていて、いくら払ってるんだろう?」と、気づくことから始まります。

私もまだまだ道の途中です。
でも、輪ゴムのように固まっていたやる気が、少しずつ外へ伸びていく感覚を取り戻したいとおもっています。

知識と向き合うことは、きっと、新しい“ゆるい暮らし”への再出発なのだと思います🌿

眠い自分のまぶたを「びよ~ん」と指で引っ張ってみながらですが笑

最後までよんでくださってありがとうございました。


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