同期との関係から見えた「自分の立ち位置」
仕事を始めたころ、私は同期の中では少し年齢が上でした。
「年上だし、みんなをまとめるリーダー的な存在なのかな」と、自然とそんな意識を持つようになっていました。
若さゆえか、当時の同期たちはとても仲が良く、配属先はバラバラでも、よく10人以上で集まってはカラオケや飲み会で盛り上がっていました。あの頃、久しぶりに顔を合わせる仲間との時間は、私にとっても楽しみのひとつでした。
年月が経ち、同期それぞれの人生が変化していく中で、会う人も限られてきます。そして、職場では少しずつ「役職」という形で差がついていきました。
私は年齢的にも自分の立ち位置を意識するようになり、「ちゃんとしていなければ」「期待に応えなければ」と思うようになりました。

頑張りすぎた日々と、無意識の“完璧主義”
夜、家族が寝静まったあと、私は一人でパソコンに向かって仕事をこなし、
日中も走り回って“完璧”を目指していました。
心のどこかに「謙虚でいい人だと思われたい」という気持ちと、
「同期の中で良いポジションにいたい」という、少し荒々しい欲が同居していた気がします。
家庭では、息子の同級生のママ友の前では、元気で明るい母親として振る舞い、
家ではあまり多くを語らず、静かに過ごす私がいました。
料理も「愛情をこめて」というよりは、“やるべきことをきっちりこなす”といった感じだったかもしれません。
心と体が限界だったあの頃
そうして役職に就くころには、体調を崩し始めました。
今思えば、あの時に医療機関を受診していれば、仕事のペースを落として続けられていたのかもしれません。
けれど正直、当時の私は自分の体と真剣に向き合う気持ちがまったくなかったのです。


「ちょうどいい私」で暮らす幸せ
今こうして、落ち着いた暮らしの中に身を置いてみて、ようやく気づくことがあります。
あのときの「もっと頑張らなきゃ」という気持ちは、自分をすり減らすだけだったということ。
そして、そんな私を支え、今の環境を作ってくれた夫には、感謝してもしきれません。
もう、無理して完璧を目指す必要はない。
今の「ちょうどいい私」で、ちょうどいい暮らしを、心地よく続けていけばいいのだと思えています。
頑張るあなたへ
自分のちょうど良い とか自分が楽なこと とかそもそもそのような発想が私にはありませんでした。
常に何かをしている自分が正解、人として生産的 とすら考えていました。
頑張るあなたも ご自分のちょうど良い を見つけませんか?
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