※本記事はアフィリエイト広告を含みます。体験に基づく個人の感想です。
【1分で読む要点】
- 実家との物理的な距離を置いたら心が楽になった
- 週1回の電話だけで、母との関係が穏やかになった
- 距離を置くことは冷たさではなく、お互いを守る選択
母との距離感に疲れ切っていた50代
2年前、長年勤めた仕事を辞めました。体調が続かなかったからです。
しかし今、時間ができた中で振り返ると、仕事だけが原因ではありませんでした。
がんで余命幾ばくもない父の介護、そのことで生じる兄弟の軋轢——ほとほと疲れ切っていました。
夫と20年前に立てたローンのある持ち家がありました。
退職とともに家を売り払い、交通の便の良い、実家から遠い場所に移り住みました。車も手放しました。
それまでは、実家で何かあるたびに仕事中でも駆けつけていました。
末っ子のわたしが、いつも対応していたのです。
物理的な距離が、関係を変えた
引っ越してから、兄弟たちはわたしにいろいろ言ってこなくなりました。
車もない、遠方にいる、という事実が、自然とわたしへの依存を断ち切ってくれたのです。
今は、母と週1回電話で話します。
「元気で過ごしてる?」と聞くと、
「デイサービスが楽しいよ」と返ってきます。
身の回りのことは自分でできています。
困ったときは近所の方や近くに住む兄弟たちがサポートしているようです。
母の楽しみは、自分でできる範囲の野菜作りとデイサービスです。
距離を置いたからこそ、見えてきたもの
いつか母と電話で話したとき、こんなことを言いました。
「もし遠くに引っ越していなかったら、お互いへの依存が深まって、誰かがもっと体調を崩すか、各々の出来ていないところを責め合う状況になっていたかもしれないね」と。
母も静かに同意してくれました。
人は感謝の中でしか平穏に過ごせない。ギスギスした関係の中では、肉親であるがゆえに 「やって当然」という思考が根深くすり込まれてしまう、と。
先日実家に行きました。
母が作った大根・新玉ネギ・ジャガイモをいただきました。
近所のスーパーには置いていない、立派な野菜たちです。
調理しながら思いました。
あえて作ったこの距離が、この美味しくて優しい味になっているのだろう、と。
距離を置くことは、冷たさではない

母が丹精込めた大根を切りながら、泣きそうになりました。
この距離があったから、この野菜が美味しいのだと思った。
もっと良い距離の取り方があるのだろうか、と今も思うことはあります。
でも今のわたしは、退職時のような体調ではなくなりました。
元気を取り戻しています。
様々なことを断ち切って、自分の人生を生きたいと願うようになったからかもしれません。
距離を置くことは、見捨てることではありません。お互いが穏やかでいられるための、選択です。
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